人事 制度作ろう
大学のすぐ北の、大学がスポンサーとなった都市開発地区にできたハイド・パーク・バンク&トラストの頭取だった。
その経営のために彼が雇ったのが、当時大学のビジネス・スクールの院生で、メガネをかけた物静かな丸顔の黒人、ミルトン・デーピスである。
デーピスは、自分は銀行がビジネスとして成り立たなければ興味がないと言つてのけた。
「こういう社会では、金融機関も利益指向でなくてはいけない」銀行が利益を上げようと思ったら、貸した金を取り立てなければだめだ。
遠くない場所にあるブラックモスリムの銀行が、この真実を認識しなかったがために崩壊しかかっていた。
この地区の立て直しは、最初に希望がかけられた六七番通りの商店街の再建では無理だった。
この通りの経済状況が絶望的に悪かったからである。
そこでサウス・シヨア銀行は、単一家族用住宅を購入する人々に対する融資と、これが一番重要なのだが、その住宅の改装にあたる建築業者への融資に特に力を入れた。
また非営利組織、特に病院などもリース金融を求めてきた。
銀行は最初迷ったが、結局は融資を行って利益を上げた。
サウス・シヨアに資金が足りなくなった時は、ファースト・ナショナル・バンク・オブ・シカゴが一〇〇万ドル分の債権を買った。
大手金融機関のひとつであるW・ヘラーも融資に参加した。
商業地区の大手のS&I(貯蓄貸付組合)が南部で単一家族向け住宅への融資を始めると、デーピスは小規模の複合住宅六階までに狙いを移した。
と言っても、オーナーの住居が中にあり、銀行と借り手が共同管理する改修積み立て金を設定する複雑な融資契約によるものに限った。
そうなると次はコンドミニアムへの転換となり、これは銀行にとっては非常にうまみが大きい。
一九九〇年代までには、ウッドローン地区の住宅の四分の一にのぼる数がいわゆる「リハブ」(再利用)されており、そのほとんどがサウス・シヨア銀行の融資を受けたものだった。
そうなると中流階級の人口が十分に増え、かつては手入れの行き届いたピルと言えばこの銀行しかなかった、さびれた商店街も再開発できるだけの大義名分が出来上がった。
六七番通りの活性化に当たっては、銀行は、商店を守り、安心感を与えるため街のパトロールの経費を負担する、などの貢献をした。
一九人〇年代初期、サウス・シヨア銀行は資産が約八〇〇〇万ドル、当時の高金利にもかかわらず年に二五万ドル近い収益を上げていた。
その、貸し出しに回せる資金のうち、一部ではあるが重要な部分を受け持っていたのが各基金で、限界に近いような安い預金金利を受け入れていたのである。
クリントンの選挙運動が注目を浴びるきっかけとなったのが、一九八七年にサウス・シヨアが初めて域外に進出、アーカンソー州アーカデルフィアにエルコーン・バンク・アンド・トラストを設立したことだった。
ヒラリー夫人のウエルズレー時代のルームメイト、ジヤン・ピアシーという女性が、サウスウエスト・リージヨナル・デイベロップメント・バンクで働いていたが、ある時、グラミーン・バンク・オブ・バングラデシュの話をクリントンのところに持ってきた。
非常に貧しい人々にお金を貸すという点でパイオニアとなり、まさに印象的なサクセス・ストーリーとなった銀行である。
グラミーン銀行は一九七六年に設立され、九五年には二〇〇万人以上の女性に五億ドルを超える融資を行っていた。
しかも利寧は、バングラデシュ中央銀行が民間銀行に貸し出す際の利率より四ポイント高かった。
グラミーン銀行は、ある人物、すなわちエコノミストのモハメッド・ユナス(ヴアンダーピルトで一九七一年に博士号取得)にとっては金字塔である。
彼は帰国した時、自分の大学周辺の村々の市場で物を売る女性や機織りをする女性が、金貸しにひどい搾取をされていることに気付いた。
連中は、彼女たちが一日の仕事に必要な運転資金を貸し、その労働の果実を事実上全部、奪っていたのだ。
零細企業に対する融資について聞かれた、米議会の飢餓についての特別委員会の聴開会で証言したデービッド・ボーンスタインの報告によれば、「一〇年後、ユナスはその当時の自分の思いを振り返って、こう話した。
『私は、自分で生計を立てようとしている、四二人の有能な人々にたった二六ドルも提供できない社会の、自分が一員であることをたいへん恥ずかしく思った』。
ユナスの作戦は、この女性たちに、何かのグループに加わっていることを条件にお金を貸す、というものだった。
グループの一人一人が、すべての借金の保証人になる。
借り手の九七%がきちんと返済したという。
ここで二つの点を指摘すべきだろう。
一つは、これこそが本当の意味での銀行業で、借り手のグループが融資担当者の業務の一部も果たしている、ということ。
次は、米国経済にはほとんど参考にならないということだ。
だがクリントン大統領は、グラミーン銀行の成功が米国における地域開発型銀行の創設の有力な論拠になると、正しい判断を下した。
クリントン政権がその最初の短い春の聞に議会から獲得したものの中に、地域開発金融基金の創設がある。
四年間にわたり、予定では三億八二〇〇万ドルを、国内での地域開発型銀行の創設と営業の支援に当てるというものだ。
共和党が議会を支配していた頃は、このための支出は全く認められず、地域開発銀行の支援は共和党が予算案で「ゼロ査定」した数多くの項目の一つになっていた。
だがクリントンが拒否権を行使した後、どういうわけか五〇〇〇万ドルが財務省の割り当て分に戻され、そのお金は独立の部局ではなく財務省自体が管理する形で、九六年初めから外に漏れ出したのである。
地域開発銀行のゴッドファーザーの一人に、クリフォード・ローゼンタールがいる。
以前は政治活動をしていたという、太り過ぎの中年で、髪は縮れ毛、表情に富んだこの男は、ナショナル・・フエデレーション・オブ・コミュニティ・デイベロップメント・クレジット・ユニオンズ(地域開発信用組合全国連合)の代表だ。
地域開発型の金融機関は普通の銀行より創設はやさしい(だが大きくするのは難しい。
資金源は留保利益しかないからである)し、ある意味で、その(地域を開発するという)運動のイメージに良く合う(グラミーン銀行は借り手が「オーナー」だ)。
ローゼンタールの組合は、特にJPモルガンの支援を受けてきた。
三〇万ドルの寄付があった。
「私が、『寄付をくれるところにだけ口座を持ちたい』と言ったら、連中は真っ赤になったよ。
三〇万ドルというのは、モルガンに口座を聞く最低額には程遠いんだ」。
技術の進歩も助けになった。
「一つの信用組合で四八六台のコンピューターを買えるから、シェア・ドラフトのプロセス一通りを一万ドルもかけずに組み立てられる。
お客には支払いシステムや少額のローンが利用できるようにするだけでなく、貯蓄の仕方も教えるんだ。
倹約の奨励は昔から、信用組合の機能の一つだからね」この仕事に真剣に取り組んだ者にとってショックなのは、いい借り手を見つけるのがいかに難しいかということだ。
金融機関の経営は、この、動機が政治的な幹部連中にとっては勉強になることが多いのである。
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